おるたの人

代表

稲葉祐一朗(35歳・既婚)

愛称:おるたろう、もじゃちゃん、おるたおじさん、ひげメガネ、もじゃ、ブロッコリー、ブロコ…その他お好みで

趣味:映画観賞、読書、旅行

弱点:メガネ


代表経歴

82 茨城県結城市出身

98 結城市立結城中学校卒業

01 茨城県立下館第一高校卒業

05 明治大学文学部文学科英米文学専攻卒業

  教職課程を経て中高英語科教員免許取得

  卒業後、ワーキングホリデーでカナダ・トロントに語学留学

06 帰国後、神戸の学習塾に入社し、5年間勤務

12 震災後一年間の農家を経て再びワーホリでデンマークに渡航

  International People’s College(IPC)に入学

13 IPCにてStudent Teacherに任命され運営にも携わる

15フリースクール全国ネットワーク主催のフリースクールスタッフ養成講座 に参加し、フリースクール設立のノウハウを学ぶ

16 小山フリースクールおるたの家 開設

17 結婚


設立趣意書

2016/5/7

 フリースクールに明確な定義はありません。法律の縛りがあるわけでもありません。基本的なルールはこれから通う子どもたちとスタッフたちとで作り上げていくことになります。私たちはここにその土台となるべく設立趣意書を掲げ、ここに記す目的と理念に基づいて新しいフリースクールを設立します。


設立の目的

1 転換する社会

「子どもは学校に行かなければならない」

 子どもたちも、子どもを学校へと送り出す大人も含めて、この国に住む多くの人がそのことを当然と考えています。しかし学校へ行かないことが憲法で禁じられているわけではなく、いかなる法律も子どもが学校へ行くことを命じているわけではありません。もしも学校が、子どもにとって居心地のいい場所でなかったり、あるいは自分にとって適した場所でないと感じたりした場合、それでも無理に学校へ行かせることがその子にとっていいことなのか。そのことを社会全体で議論するべき時期がきていると思います。

 この国にまだ十分にものがなく、何かを生産することが無条件に社会的合意を得られた時代には、国民が同じような知識を習得し、同じ基準で物事を考えることこそが社会に出る上で重要視されてきました。決められたルールを守り、教師や大人たちに対して従順な態度を示すことに大きな価値があるとされ、そのルールに合わせることのできない者は社会的に排除される。そういう大きなシステムの元でこの国は大きな発展を遂げ、世界中でその技術や規律を重んじる国民性が高く評価されてきました。

 しかし時代は大きく転換しています。

 この大きな転換がどのように帰結するのかはまだわかりません。ただ一つだけ確かなことは、これまで信じられてきた価値観が教育の側からも、また社会の側からも、揺らいでいるということです。

 まず教育の行われてきた学校では、人権意識の高まりから過度な規律は否定されはじめ、学校内や社会での高度な規律を可能にしてきた暴力、体罰などが禁じられるようになりました。また教育を受けた人々を受け入れる社会の側も、企業のグローバル化、IT化、あるいは規制緩和や多様化によって、従順さや勤勉さだけでは乗り越えられない様々な問題を内包するようになりました。いま社会では「想像力」や「独創性」、あるいは「国際感覚」といった曖昧なものが求められています。それに対して学校で行われる教育が十分に対応できていると言えるでしょうか。そういった社会のニーズにあった人材を学校が生産できていると言えるでしょうか。

 そもそも国の成長のために企業の成長が求められ、そのための人材として国民を教育する、という大きな物語は破綻していると言わざるをえません。これからの不透明な未来を生きる上で子どもたちに必要なことは、代替可能な「人材」になることではなく、立派な「個人」として生きていける力です。学校がなおも旧来型の「人材」の育成に固執している以上、私たちは市民の立場から新たな教育の場を生み出さなければなりません。


2 学校以外の選択肢

 デンマークの教育改革者グルントヴィは当時の公教育を批判し、独自の理念を元に学校を設立することによって国民に公教育以外の選択肢を与えました。この動きは大きな運動となり、現在でもデンマークには公立の学校の他にフリースコーレという別の選択肢があります。もしある地域で子どもたちに適した学校がないと感じた場合、住人たちは新たなフリースコーレを立てる。デンマークではそのように市民の側から社会を変えるという文化が根付いています。

 私たちは教育についてあまりにも国に依存してしまっています。教育というのは当然、国から与えられるべきものと信じ込んでしまっています。国が与えてくれる教育によって社会全体が満たされていた時代は、それでもよかったのかもしれません。しかしそういう時代は終わってしまったか、少なくともいまはそういう時代ではないと考えます。

 国を動かすことは簡単なことではありません。ですが、市民の側から可能な手を打っていくということは将来的に国の政策を動かす可能性があるのです。

 子どもたちが教育を受ける上で、学校以外の選択肢があっていいのではないか。

 私たちはその考え方に基づいて新しい教育の場を設けることを考えました。将来的にそれが学校からこぼれた子どもたちの受け皿というだけでなく、学校以外の選択肢の一つとなることを目標に掲げます。


フリースクールの理念

1 居場所であること

 私たちは学校で与えられる教科だけに教育の本質があるとは考えません。学校に行く目的が教科を習得することだけではないのと同じように、私たちが提供する場所はまず子どもたちにとっての居場所であることを第一の意義であると考えます。

 居場所とは子どもたち自身が「自分がいてもいい」と感じられる場所のことです。それは誰かから強制されて感じられるものではなく、そこにいる他者に受け入れられ、自分の存在や行為が否定されていないとわかったとき、自然とそう感じられるものです。

 私たちは特定の理念や考え方、勉強法や処世術を教えることはしません。法や他者の人権を侵さぬ限りにおいて、子どもが自主的にやりたいと思っていること、あるいは子ども自身の持つ意志や趣向を尊重し、必要に応じてサポートやアドバイスを与えます。子ども同士で問題が生じた場合には仲裁に入り、両者が合意できる道を見つける手助けをします。

 私たちは「教師」ではありません。子どもたちとの会話、子どもたちが自主的に何かをすることに対するサポートを通じて子どもたちに安心感を与える存在であることを目指します。


2 自由であること

 私たちはこころもからだも柔軟な子どものうちにこそ、自由を与えられるべきだと考えます。日々の生活のなかでさまざまなものに触れ、自分とはどういう人間かを身体的に学んでゆく時間を与えることが、大人になったときのしなやかさにつながるのではないかと考えます。

 もちろん、自由とは簡単なことではありません。制約や規則を与えることが、人に安心感を与えることも事実です。しかし、「いったい何をしたらいいのか?」と考えること。人に言われたことをするのではなく、自分の頭で考えること。そのことに慣れてゆくことが、自分で考える力を養うものと考えています。

 自由とは何かを自分で発見し、その自由のなかで自分に必要なことは何かを見極め、実行してゆく。そういう力を身につけることが、教科を学んだり、特定の技術を身につけること以上に、これからを生きる上で必要な力だと考えます。


3 協調すること

 もし「居場所」が一人で完結するなら、フリースクールは必要ありません。居場所を居場所たらしめているものは、他者の存在です。相互につながり合うことを通して、私たちはともに居場所を作り、互いを承認し合うことができるのです。

 自分の自由を他者に認めてもらうためには、他者の自由を自分も認めなければなりません。そのために私たちはミーティングの場をもうけ、その時々の問題について話し合います。それと同時に、ふだんの生活のなかでも個人の間で起こった問題を話し合いによって解決していくことを学びます。この国では曖昧な雰囲気や言語化されない空気を読むことが求められる傾向があります。しかし、私たちは重要なことこそしっかりと言語化し、そのことに慣れる必要があると考えます。その場の空気や同調を強いる雰囲気に惑わされず、しっかりと自分の意見を言い、また他者の意見を受け入れる。そういった建設的な議論に慣れることが、また思考力を養う上でも必要なことであると私たちは考えます。

 自分たちが生活する場所について自分たちで決定していく。そのことによって自分たちにとって居心地のいい場所とは何か、居心地のいい社会とは何か、自分で考える力をつけていく。そうして少しずつ思考の幅を広げ、やがて社会についても積極的に自分の意見を持てるようになることを目指します。